嗚呼、日々人間不信

人間関係に絶望した私の人間観察記録

絶望…夫編①

初めてのブログで何を書いたら良いか…

個人的に感じたことや考えを勝手に書いてみようかと思う。

 

私は人生において苦しくなる度、自分が悪いと思い自分を責めてた。相手に嫌われないようにと意味のない努力をしていた。自分らしさが消えかけてた。

 

妻であるあなたは夫という人間を観察したことがありますか。

夫について『愛着障害』から考えてみた。

【夫の良いところ】

基本的に他人の悪口は言わない

子どもと遊ぶ時間や過ごす時間は大切にしてる

友人を大事にしている

仕事は丁寧で信頼も得ているよう

相手が誰でも良い悪いをはっきり言う

 

これだけ見ると『良い人』や『出来る』の感じはあるね。

外見も一般的には良い方でしょう、学生時代もモテていましたし。可愛らしい彼女が切れ目なく居た時期もあれば、派手な遊び相手の彼女が居た時もあったと聞いてます。思春期らしい経験や体験は十分したでしょうねー。満足してたかは知らんけど。

ただ、夫には悲しい過去があります。夫が1歳の時に母親が事故死しました。まだまだ愛情が欲しい幼児期です。さびしい思いは常にあったと想像できます。他の家庭が羨ましく思うこともあったはずです。母親の記憶はほぼないと言ってました。父親と祖母、曽祖母に十分な愛情を持って育てられたので、人並みの優しさや愛情、思いやりはある。。。

のかな…あるの?ってところが疑問に思うのです。

夫の場合、愛情や優しさや思いやりは与えるものではなく貰うものだと受け身が強いのです。

〈そうなってしまった環境や要因〉からの考え

◇家庭環境⇨曽祖母や祖母はかわいいや可哀想だ、で要望に応えてしまう。

よくある話しで無責任ですよね。

父親は厳しくの意味を履き違えたまま育て、自分の価値観や考えを強引に押しつけていた。

父子家庭でも立派に育てる!が仇となるパターンですね。夫自身も身内に対して価値観を押しつける人間となってしまった。

◇住んでる町の地域性⇨地方の田舎町です。同級生の父母が良かれと考えたのでしょう。運動会の親子競技や授業参観は常に周りの子たちも父親参加が基本で揃えてくれてた、と。夫の父親が自慢げに話してました。嬉しい気持ちは分かりますが、自慢出来る話しではありません。

周りが自分の環境に合わせてくれると勘違いしてしますよね。

親切でも優しさでもない、ただの余計なお世話でお節介レベルの話じゃないです。

価値観や考え方、受け取り方が歪みます。

 

どんな環境も事実を受け入れて、認めることで楽になることがあると私は考えてます。認められないと苦しいだけであり、いったい何とこの人は戦っているのだろうと思います。

何に勝とうとしているのか…